教員採用汚職
大分県で起きた教員採用汚職は、教育委員会制度そのものの
変質と長い年月を通して監査を出来ずスルーな体質だった事を浮き彫りにさせた。
金で我が子を採用させようという、あまりにベタな発想は、自分たちが校長や教員である
事の重大性を認識してないということだ。
つまりは金とコネがあれば倫理規範は関係ないということだ。
例え犯罪でも。あまりに情けない。
教員の定員は一定だから、当然点数操作が必要となる。
本来なら当然受かってしかるべき教員希望者が落ち、賄賂を渡したのが受かる。
それを発見するシステムも無く、受かっていたはずの人間は、
当然人生の進路を変えなければならない。
過去20年にわたるとされているこうした不正は、まさに教育者失格だ。
当然システムとして出来ている「教育賄賂システム」は政治家が絡んでいるだろう。
現在政府は、全国で調査しているがこれは氷山の一角だ。
この際徹底的に膿を出さなければ、親も生徒も今後教師を信頼する事は無い。
同時に過去にさかのぼり、不正で落とされた受験者に再面接をし希望者には
教員に採用すべきだ。問題は知らないで受かって今教員をしている者たちだが
今までの経験を考慮のうえ、再試験させ決めればよい。